excitemusic

やまー
by terayamadai
ICELANDia
カテゴリ
全体
エッセイ(課題)
本:歴史・ノンフィクション
本:その他
コラム
映画
旅行
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


No4 人生密度を2倍にする「時間リストラ法」


要約
 これからの時代、40歳にもなれば4つのスケジュールを持たなければならない。従来なら、来た仕事をそつなくこなしているだけでも生きていけたが、これからはそうではない。もし、豊かな人生を送りたければ、計画性を持ってこれからの人生を歩んでいかなければならない。(2005年1月17日 PRESIDENT P42~45)

コラム
 この記事には参考になることが書かれているのでここに紹介しておこう。「人間が変わる方法は3つしかない。1つは時間配分を変える、2番目は住む場所を変える、3番目は付き合う人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは決意を新たにすることだ。そして、時間、場所、友人の中でどれかひとつだけ選ぶとしたら、時間配分を変えることがもっとも効果的なのだ。」(大前 健一)自分を変えたいと思っている方(私もだが)はぜひ参考にして頂きたい。実際、自分の体験を振り返ると、行動を具体的に変えない限り決意だけではなかなか自分を変えられなかった。
 具体的に時間配分を変える方法として彼は4つのスケジュールを組めと述べている。1つ目は仕事上のスケジュールであり、2つ目は空いた時間をどう使うかである。3つ目は家族との時間のスケジュールである。最後は社会(地域コミュニティーなど)との結びつきを計画し、実行するスケジュールである。このように、人生を受身ではなく自分から切り開いていくために彼は4つのスケジュールを組むことを提唱している。もっと詳しく知りたい方はぜひ原文を読んでもらいたい。具体的にスケジュールを組むための方法が書かれている。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:17 | コラム

No3 上場企業3割が増復配


 要約
 05年3月に決算期を迎える上場企業の配当総額が、前期比2割増の2兆円超に上ることが明らかになった。増配や復配に踏み切る企業は全体の3割超に達する。好調な企業業績を反映したものだが、株価を高めることで敵対的買収から身を守る狙いもありそうだ。(2005年4月28日 朝日新聞朝刊11面)

 コラム
 金融機関を除いた東証一部上場企業の05年3月期決算は、経常利益が19,4%増、当期純利益も37,0%増の見通しであり、増配は好業績を反映したものといえる。ただ、配当性向は19,4%と、前期の17,8%から上昇しており、企業側が増益分以上に株主還元の姿勢を強めていることが窺える。私はこの記事を読んだ後、暗い気持ちになった。というのは、日本企業の横並び体質が未だに改善されていないからである。恐らくライブドアとフジテレビの騒動を見て寝ぼけていた(あるいは寝ぼけている振りをしていた)経営者も目が覚めたのであろう。自社が買収されるかもしれないというリスクを感じて慌てて増復配に走ったとすれば何とも情けない限りである。株主を重視する経営、顧客を重視する経営、ステイクホルダー全体を重視する経営・・・社会から排除されない範囲内であればどんな経営理念を持っても構わないが、経営者は信念を持って会社の進路の舵を取るべきである。不況だ、デフレだ、円高だと騒ぐ前に、消費者のニーズが多様化している日本のマーケットを冷静に分析し、需要がある商品を世界中から取り寄せていくべきである。試行錯誤を通じたプロセスの連続、失敗の蓄積により、企業の個性が生まれてくると私は考えている。企業に個性が出てくれば自然と企業が扱う製品、サービスに差別化が生じてくるので、過当競争も収まるであろう。いまこそ、思考停止に陥らずに主体的にビジネスを展開できる経営者が強く求めらていると私は考えている。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:16 | コラム

No2 サムスン 強気の投資


要約
 昨年1年間で純利益10兆ウォン(1兆円)を稼いだ韓国サムスン電子が、半導体や液晶などで積極的な大型投資を続けている。今年に入って利益が大幅減となったが、それでも強気の投資を緩める気配はない。今後も成長を維持するには、独自の核心技術の開発がカギを握りそうだ。(2005年4月27日 朝日新聞朝刊12面)

コラム
 数年前まで誰も知らなかった(言い過ぎか?)韓国サムスン電子がアジア通貨危機を乗り越えて好業績を続けている。アジア企業ではトヨタ自動車に次ぐ純利益を上げている。サムスンの強みは不況期にも継続して大胆な投資をしていち早く技術を開発し、量産体制を確立することである。サムスン関係者は「IT分野での投資は刺身と同じ。」という比喩を使って彼らの戦略を説明している。韓国サムスン電子だけで日本の大手電気機器会社7社を上回る純利益を上げているのだからたいしたものである。
 ただ、気になる記事も発見した。サムスン電子が外国企業に昨年支払ったロイヤルティは千数百億円に上ると言う。技術力(=アメリカで申請された特許件数とする)で評価すると、サムスンを筆頭に韓国企業は(アメリカ企業でさえも)日本企業に及ばない。ではなぜ韓国サムスン電子は好業績を上げられるのか。その理由はしっかりとしたビジネスモデルを構築できているからである。韓国サムスン電子はアジア通貨危機の際、「選択と集中」を行い大規模なリストラクチャリングを行った。具体的には不採算部門から撤退し、重点分野に経営資源を集中した。さらに、業績連動報酬を導入し、アメリカ式のコーポレート・ガバナンスさえ導入した。そして、技術蓄積が浅い同社は技術ではなくデザインで売り上げを伸ばすマーケティング戦略を採用した。この戦略は功を奏し、、売り上げの大幅増に貢献している。最近では、アメリカでのブランドランキングでソニーに肉薄するまでになってきている。このようにビジネスモデルを構築して徹底的に実行しているところが、日本の大手電気機器会社との一番の違いであり、韓国サムスン電子が好業績を上げられている理由である。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:15 | コラム

No1 ソニー 社外取締役が大半に


要約
 ソニーは2005年6月に発足する新体制で全取締役12名のうち8名を社外取締役が占める人事を固めた。社内出身は次期会長権CEOのハワード・ストリンガー氏、次期社長の中鉢良治氏、副社長の井原勝美氏の3氏が取締役に就任することが内定している。(2005年4月27日 日経新聞夕刊1面)

コラム
 ソニーは日本を代表するグローバル企業であり、日本企業の中で真っ先にアメリカ型のコーポレート・ガバナンス(委員会等設置会社)を導入している。今回はソニーを題材に日本のグローバル企業におけるコーポレート・ガバナンスについて考察していく。
 ところで、アメリカ人の若い世代では、ソニーは音楽や映画、ゲームビジネスを展開するアメリカの企業だと思われているそうである。これは現地化戦略が効を奏しているからであろうか。私は日本本社からアメリカ法人をコントロールできにくくなったため、現地のアメリカ人トップが暴走したことに因があると考えている。
 私はソニーがアメリカ型の企業統治を導入したのも、アメリカ法人の失敗があったからであると考えている。ソニーアメリカ法人の失敗はコーポレート・ガバナンスの失敗に負うところが大きく、つまり意思決定のプロセスや責任の所在が不明確であったことが原因である。さらに、日本的経営の暗黙知をアメリカにそのまま持ち込んだことも失敗の原因である。というのは、他民族国家であり、労働力の移動が激しいアメリカでは暗黙知を蓄積する風土に乏しいからである。こうした失敗は、会社をグローバルに展開しようとしているあらゆる日本企業が直面する問題である。暗黙知による情報の共有を経営のベースに置く日本企業は世界各地でソニーのようにコーポレート・ガバナンスの問題で苦労するであろう。だが、短期的にコンフリクトが生じたとしても、長期的な視点で現地に適応していけばこの問題も解決できるであろう。というのは、日本的経営も普遍性を有しているからである。あらゆるステイクホルダーを重視する経営に共感を持ってくれる人々が必ずいるからである。そうした人達と一緒にビジネスを展開していけばこの問題は解決できるように思われる。こうして考えていくと、昨今の日本企業の業績の悪化による長期的視野の排除と短期的利益追求は自分の強みを消してしまう非常に危険な傾向である。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:14 | コラム

No3 異邦人


要約
 通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーは、母の死の翌日に海水浴に行き、女と関係を結び、映画を見て笑い転げ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と応える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。

感想
 読み終わった後に脱力感に襲われる本である。フランス小説らしいといえばらしい点は、人間関係のどろどろした雰囲気をを上手く描き出していることである。まだこの本を読まずに要約を読まれただけの諸兄はこの要約を見てどう思われるだろうか。頭がおかしくなった人が書いた本ではないか、ストーリーが掴めないという感想を持たれることと思う。本書は一見すると絶望的な外観を呈しているが、決して絶望的な内容の書物ではない。この本には「人間とは無意味な存在である。」という作者の思想が横たわっていて、読み進めていくうちに「人は何のために生きるのか」というカミュの積極的な思索の跡が浮き出てくる。その意味で、この本は陽性の性質を持っていると思う。舞台設定が、カミュが育ったアフリカを背景としている(私の推測であるが)という点もこの本の持つ陽気な性質を助長している。
 「異邦人」はフランスで40年以来の最大傑作と絶賛され、戦後、作者のアルベール・カミュはサルトルと並んでフランス文壇を代表する最も輝かしい作家と見られているが、ムルソーのような経験が無い私には、本書は理解しにくかった。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:13 | 本:その他

No2 女の一生


要約
 修道院で教育を受けた清純な貴族の娘ジャンヌは、幸福と希望に胸を躍らせて結婚生活に入る。しかし彼女の一生は、夫の獣性に踏みにじられ、裏切られ、さらに最愛の息子にまで裏切られる悲惨な苦闘の道のりであった。

感想
 本書の正式なタイトルは「女の一生 ささやかな真実」である。「ささやかな真実」という言葉に本書の内容がよく要約されていると思う。というのは、幸せになりたいという純粋な気持ちを打ち砕く現実の厳しい生活の中でジャンヌがふっと感じるささやかなやすらぎ、期待が裏切られ続けて虚無感に陥った心境というものが上手く伝わってくるからである。人生について、幸せについて考えさせられる一冊である。
 ところで、私は偶然というものは存在しないと考えている。物事には必ず因果関係があり、ある結果にはそれを引き寄るだけの因が存在している。今回この本を読み、幸せになるためにジャンヌはこうした方がいいのではないかとおせっかいながらコンサルティングしてみた。
① 夫は白馬の王子様だと思わないこと。
② 子供に全ての愛情を注がないこと。(夫にも愛情を分ける)
③ 信頼のおけるメンターを持つこと。
 異論があるかもしれないが、この3点を心掛けるだけでもジャンヌの人生は大分変わったであろう。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:12 | 本:その他

No7 マルクスが描き出した冷酷な体制


 カール・マルクスの資本主義崩壊のビジョンはどのようなものであったのだろうか。彼の代表的な作品「資本論」では、最善な資本主義システムを採用し、そのシステムが内包する制度的矛盾を指摘することでシステム自体が抱える制度的欠陥を証明しようとした。最善な資本主義システムでは独占や組合といったいかなる者に対する特権も存在していない。そこでは全ての商品が適正な価格で売られている。適正価格とは商品の価値のことであるが、商品の価値とは、商品がそれ自身の内に秘めている労働量のことである。こうした状態の下で利潤が発生する原因をマルクスは「剰余価値の発生」という概念で説明している。労働者は生存のために仕事をし、契約した賃金を得ている。けれども、労働者は実際仕事を契約する上で生存に必要な時間以上の契約を余儀なくされる。労働者は契約した労働を行うことで生み出した価値を資本家に委ねるが、労働の対価として彼らの生存維持金額しかもらえない。マルクスはこの不払い労働分を「剰余価値」と呼んだ。利潤が発生する源と考えたのだった。
 今まで労働者サイドから考えてきたが、今度は資本家サイドから考えていく。資本家は競争を通じて生産規模の拡大を図るが、労働者の賃金が上昇するため利潤率は低下していく傾向にある。そこで資本家は労働節約的な機会を導入し、賃金を抑制しようとする。一見すると資本家は危機を逃れてように思えるが、実際は自身の利潤の源泉を破壊してしまっている。そして、利潤は生産がこれ以上利潤を生むことが無くなる地点まで、切り下げられ、破産する資本家が続出する。
 上記のようなマルクスのビジョンは労働者を酷使していた時代には適応したかもしれないが、現代社会には適応できていないように感じられた。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:11 | エッセイ(課題)

No6 創造の方法学


 この本の中で著者は知的創造とは何かという方法論を述べている。まずは問題をどう考えるか、物事の因果関係を把握し原因と結果の関係を整理することから始まる。そして、原因と結果を結ぶ理論の部分を具体的証拠を集めることで埋めていくという作業を行う。アメリカの著名なジャーナリストであるウォルター・リップマンによれば、われわれの生活は次のような三角関係によって成り立っているという。「われわれの頭の中にある映像」、「その映像に向かって働きかける行為」、それに「現実の世界」、この3つである。私たちが研究をする際には、まず特定の現象を選び出しその現象を引き起こす原因を求めて因果関係を設定しなくてはならない。そして、仮説を立てた研究者は次にその仮説を経験的事実に合わせてテストしなくてはならない。検証と呼ばれるこの過程はいわば「われわれの頭の中にある像」を、「現実の世界」と照らし合わせて、その間に相違がないかを調べる過程に似ている。しかしながら、科学における検証とはより抽象的な、より一般的な、より適用範囲の広い、従って問題解決により役立つ映像であり、それを理解するためには「概念」というものを考えなければならない。
 我々が普通「事実」と呼ぶものは、実は「概念」によって経験的世界から切り取られた、現実の一部に他ならない。そして「概念」と「経験的世界」との間には相互作用が存在する。このプロセスの中で概念の修正や新しい概念の創出が行われ、これらは人間の知的創造にとって極めて重要である。このように考えていくと、数量的統計方法を用いて世界を記述することは、世界を説明することの前提条件であるが、それだけでは知的創造という視点からは価値が低いと評価されるのも当然であり、我々は日々「概念」を修正し、新しい因果関係を推測していくことで知的創造を行っていく必要がある。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:10 | エッセイ(課題)

No5 加藤紘一氏の講演 行政改革を巡る官僚と政治家の関係


 行政改革を巡る話の中で加藤紘一氏は、地域コミュニティーの人々の結びつきが弱くなってきていることに触れていた。彼は、この現象はなにも最近の出来事ではなく、明治時代以降の日本で少しずつではあるが着実に進行していった極めて長期的な現象であると指摘していた。江戸時代までの日本社会では村単位でコミュティーが強固に存在し、村の長が利害関係を調整していたので中央から行政サービスを受けなくても村人たちが力を出し合って問題を解決していた。が、明治維新を経て富国強兵、廃藩置県など中央集権的な政策を国が推進していくようになると、中央から来る役人が地域コミュニティーの問題解決に介入してくるようになり、彼らを介さなくては“政治”を行なえなくなってしまい、そのために地域コミュニティーの絆が弱くなってしまった。
 印象的だったのは、加藤氏が自分の幼少の頃の体験談を交えながらこの問題について語ってくれたことである。彼は山形県の小さな町に生まれ、育った。町では雨の降るシーズンが近づいてくると住民は総出で川の底に生えている雑草を抜き、作業を終えると参加者たちは酒を買って皆で賑わっていたそうである。そうした機会に住民はお互いの情報を交換し、地域の絆を維持していたのである。このように、加藤氏が幼少の頃にはまだ、地方には地域コミュニティーが存在していた。だが、現代ではその限りではない。地域社会の住民で解決できることにまで役所が介入してくるため、役所というところは非常に効率の悪いものになってしまったという加藤氏の主張はもっともだと思う。役所の介入・規制は必要なことではあるが、明らかに人々の効用を低下させるものに関しては取り除く必要があると感じた。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:09 | エッセイ(課題)

No4 ソースタイン・ウェブレン


 ソースタイン・ウェブレンのはある意味で真理を看破していると思う。代表作「有閑階級の理論」の中でウェブレンは「有閑階級は見返りに何ら生産的サービスを行うことなく物を所有し、それは社会の充分な承認のもとに行われた。これらの社会は、侵略好きで略奪してくるものを褒め称えた。その結果、仕事に対する態度に変化が生じ、暴力による富の獲得は名誉のあることとみなされるようになった。対照的に、単なる労働は軽蔑をもって見られるようになった。」と述べている。社会の価値観が変化していく中で、ウェブレンは社会を構成する人々(ここでは近代人と呼ぶ)は未だに昔ながらの野蛮な性格を持っていると考えた。彼一流の表現によると「近代人は野蛮な先祖の投影だ。」そうである。今回はこの台詞の意味について考える。
 私は長い時間軸で歴史を眺めると、人間(のみならず生き物全て)は同じ事を繰り返している様に見えてしまう。時代により表面的に見える現象は異なるかもしれないが、本質的には同じ事を考え、同じ行いをしていると考えている。であるから、近代人も過去の先祖の特徴を引き継いでいても何ら不思議ではない。ここで更に深く考えるためにダーウィンの「種の起源」から興味深い一節を引用しよう。「この世で生き残っていく生物は最も強いものではない。最も環境に適応できた種族のみが生き延びる事ができる。」
 人間が地球に誕生してから現在までの期間を長いと見るか短いと見るかは別にして、人間が今まで生き延びることができたのも環境に適応できたからであると私は考えている。環境に適応するために人間は自覚の有無に関わらず自らを絶えず変革していかなくてはならない。それには2通りの方法があり、一つ目は学習効果を通じて環境に適応することであり、二つ目は遺伝そのものが環境に適したものに変わることである。ここで、「現在急激な環境変化が起きている」と、「人の一生は遺伝により規定されている」と仮定すると前者は種の保存の観点から考えると知識の伝承という形でしか人間の進化に貢献できなく、社会的弱者になる可能性がある。それに対して後者は新時代の優勢人種であるから社会的強者になる可能性が高い。だが、後者は絶対数でいうと少数であるため社会のリーダー数が足らなくなってしまう。そこで前者に活躍できる機会が生じる。歴史を俯瞰するにあたって、前者に該当する絶対多数の人々を「教育を通じて知識の獲得・学習→環境に適応できる(生き残れる)→知識・経験の伝承(種の保存のため)」というサイクルで眺めると、ウェブレンの言った台詞は妥当性があるように思われる。
[PR]
# by terayamadai | 2005-05-19 09:08 | エッセイ(課題)